COMMENTARY

布をかけられた一枚の絵がある。
布を取ったあなたはそこに「泣く女」を見つける。
ピカソの絵だとか有名な絵だとかは知らなくていい。
あなたはまず「なんだこれは」と意味が分からず驚き
次に人物だと分かると顔や体のラインを探し始める。

「和伽人形」は途中までこれと同じ事が起こるのである。

彼の作品はパリのルーブル美術館地下カルーセルで初めて目にした。
着物を着た日本の人形がこんな所でと思ったが驚いたのはそこではない。
伝統的な日本人形ではないのは見れば分かるがその人形は
水の入った桶に入っているのである、不自然な格好で嵌っている。
意味が分からない。驚く。
そしてラインを探し始める。
この場合のラインは物語のラインだ。

しかしそのラインが見つからない。
「和伽(おとぎ)」とつくからには「御伽草子」の中に出てくる話で
あったり人物なのだろうか?
どうも違うらしい、自分の知っている話のどれにも当てはまらない。
女性美とエロチシズム溢れた昔話など知らない。
自分が知らないだけでそういう話があるのか?
「読んでみたい」「知りたい」
そういう気持ちと意味の分からなさに思考が引っ張られ余計にラインが
見えてこない。
彼の作品は細部まで精密で肌の色など本物より本物らしくて艶めかしい。
なのにラインが見つからない。ある意味泣く女を超えてるとも言える。
具象なのに抽象。
造り手側と客側、ある程度であれ等分(共有)があっていいはずなのに
それがない。
アートとはそういう部分があって然るべきなのだがここまでリアルで
生き人形と言ってもいいくらいの人形なのに肝心のバックボーンが
分からない。
いや分かりそうで分からないと言った方がいい。
解けそうで解けない「成り立たない方程式」
その時はそう思った。

しかしそれ以後彼の作品を見続けていると解けそうで解けない
「成り立たない方程式」の意味が分かる。
おそらく彼は方程式の解を持たない。
解のない方程式を唸りながら解こうとしている我々を嬉しそうに見て
遊んでいるのだ。
意地が悪い。それならばこちらも全く違った解を出して遊んでやろう。
きっとそれが正解なのだ。
それが分かれば難解な方程式も自然と解けるようになる。
俄然作品を観るのが楽しくなってくる。
成り立たない事で成り立つ方程式。
それが彼が用意した方程式であると確信する。
全く意地が悪い。
今日も彼は訳の分からない方程式を作って遊んでいるのだろうか。
だったら我々も遊ぼうではないか、彼以上に!

そうでないと悔しい。(笑)

 

藤木 和斎